平成生まれの医師のブログ

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SKYACTIV-Xが生き残る道は他社への提供

 日本でのSKYACTIV-Xを搭載したMazda 3の発売が10月から12月へ延期されました。日本ではレギュラー仕様で発売予定だったものを、ハイオク推奨仕様に変更するためだそうです。欧州でハイオク推奨仕様のウケが良かったため、日本もそれに合わせるのだとか。なんとなくしっくりこない言い分です。個人的にはレギュラー仕様のセッティングが間に合わなかったのか、あるいはリコールリスクを減らすためではないかと思っています。仕様のバリエーションが増えるほど、リコールのリスクも高くなります。量産化世界初の新メカニズムエンジンなので、発売後のリコールが懸念されます。

 SKYACTIV-Xが売れるかどうか疑問視する意見も聞かれます。理由は単純で、非常に高価なエンジンの割にはスペックが中途半端です。同じ値段で比較すると、最高出力や最大トルクでは従来型のガソリンターボやディーゼルに負け、環境性能ではプリウスを代表とするストロングハイブリッドに負けます。

 ガソリンの圧縮着火という性質上、従来のガソリンエンジンディーゼルエンジンの中間的な性格になるのは当然です。ガソリンエンジンよりトルクがあり、ディーゼルエンジンより伸びが良い(最高出力が高い)と言えるし、ガソリンエンジンより伸びが悪く(最高出力が低い)、ディーゼルエンジンよりトルクがないとも言えます。なんともセールスポイントが難しいエンジンです。

 メーカーのグレードセッティングにもセールスポイントの悩みが透けているように思います。例えば、新型のMazda 3にはSKYACTIV-D2.2の設定がありません。SKYACTIV-XはSKYACTIV-D2.2に最大トルクで大きく劣り、エンジン本体価格もSKYACTIV-D2.2の方がこなれています。SKYACTIV-D2.2を設定してしまうと、SKYACTIV-Xが霞んでしまうと判断したのでしょう。

 SKYACTIV-Xはスポーツ性ではあまり売れ込めそうにありません。しかし、環境性能でも従来のストロングハイブリッドに歯が立ちません。そもそも現在の技術ではストロングハイブリッドこそが環境性能での最適解と証明されています(製造や廃棄における環境負荷は別ですが)。クリーンディーゼル、マイルドハイブリッド、ピュアEVはストロングハイブリッドに勝ち目がないメーカーの苦肉の策でしかありません。最近のピュアEV推しもだんだん腰砕けになりつつあります。

 マツダはプレミアム性、つまりは上質さで売り込もうと考えているようです。試乗レビューでは回転の滑らかさと静粛性について高評価が目立ちます。しかし、SKYACTIV-Xはガソリンエンジンディーゼルエンジンの中間的な性格である以上、本質的には回転の滑らかさや静粛性においてガソリンエンジンに劣るはずです。これはつまり、高度な対策によって実現していると考えられます。回転の滑らかさは、徹底した振動対策で演出し、おそらく24Vのモーターアシストも一役買っているでしょう。SKYACTIV-Xは圧縮着火かつリショルム式エアコンプレッサーを搭載しているので、かなりうるさいエンジンのはずです。エンジンカバーやボディ本体の構造、吸音材などで高度に対策しているのでしょう。プレミアム性を演出するためにかなりお金が注ぎ込まれています。

 SKYACTIV-Xの本質は高度な実用エンジンです。何にプレミアム性を感じるか個人で異なりますが、このエンジンには演出されたプレミアム性が含まれています。欠点は高価なことです。この問題を克服するにはたくさん作って量産効果で安くするしかありません。今回発売のMazda 3は24Vのマイルドハイブリッドとして作られましたが、環境性能はストロングハイブリッドに遠く及びません。しかし48Vのマイルドハイブリッドになったとき、環境性能と価格で従来のストロングハイブリッドに迫れれば、需要が伸びるかもしれません。

 馬鹿げたことですが、今のような走行時の排出物のみを重視した環境規制がこのまま強化され続けけば、エンジン+モーターのストロングハイブリッドでも対応できなくなるかもしれません。とうとうピュアEVに取って代わるのでしょうか? しかし、バッテリーのエネルギー密度が向上しない限りは、ストロングハイブリッドが最適解であり続けるでしょう。エンジンもしくはモーターの効率を向上させて乗り切るしかありません。ここでSKYACTIV-Xを搭載したストロングハイブリッドが登場するのでしょうか。

 現在自動車メーカーの多くが、ピュアEV、自動運転、コネクティングサービスの開発にリソースをつぎ込んでいます。そんな中、マツダは愚直にエンジン効率の追求に取り組み続けています。将来、マツダが提供するエンジンがなければ、自動車メーカー各社は環境規制に対応した車を作れなくなるかもしれません。

環境規制は地球のため?誰のため?

CO2原理主義(ただし走行時に限る)

 自動車の環境規制は年々厳しさを増していますが、本当に地球環境のためになるのか、以前から疑問でした。今の環境規制は二酸化炭素の排出量を抑えることを特に重視しています。理由はもちろん地球温暖化を抑制するためです。建前かもしれませんが。

 各国具体的な規制基準はさまざまですが、大きな落とし穴があります。それは、基準が燃費であり、走行中の二酸化炭素の排出量しか規制の対象ではないことです。自動車が生産されて、利用され、廃棄されるサイクルの中で、走行中の二酸化炭素の排出しか制限されていません。自動車の製造工程や廃棄・リサイクルで生じる二酸化炭素についてはガバガバです。

 

エコカーの負の側面

 走行中の二酸化炭素の排出量を減らす手段としては、ガソリンエンジンディーゼルエンジンなどの内燃機関のエネルギー効率を上げるか、内燃機関以外の動力へ置き換えるしかありません。

 各社、内燃機関の効率向上に取り組んでいますが、特にマツダは社運をかけて取り組んでいるようです。

 内燃機関以外の動力へ置き換えといえば、言わずもがな、電動化です。極端な話、バッテリーとモーターだけで走る車、いわゆるピュアEVならば走行中のCO2排出量はゼロです。あくまで走行中に限ります。多くの方が指摘するように、発電で生じるCO2を考慮しなければなりません。発電がすべて風力、水力、地熱などの再生可能エネルギーに変わればよいのですが非現実的です。現状は火力発電への依存度が高く、ピュアEVが増えれば増えるほど、電気需要が増えて発電によるCO2排出も増えます。

 

製造工程の環境負荷は無視してよいのか

 もうひとつ指摘したいのが、製造工程でのCO2排出です。エンジンを作るのと、モーター+バッテリーを作るのと、どちらがCO2排出量が多いのでしょうか? ピュアEVを作れば作るほど製造工程でのCO2が増えるとしたら、電動化の推進は意味があるのでしょうか?

 バッテリーの製造における環境汚染も気になります。ピュアEVやハイブリッドカーには高性能なバッテリーが求められます。現代の主流はリチウムイオン電池です。リチウムそのものが危険な物質ですが、廃棄する場合の環境汚染が心配です。バッテリーの製造には複雑な化学合成が必要なので、副次的に生じる化学物質も心配です。電動化が進めば製造工程や廃棄における環境負荷が結果的に増えるのではないでしょうか? その点では内燃機関とモーターとバッテリーの全てを搭載するハイブリッドカーは最悪です。

 

消費者もメーカーも得しない環境規制

 自動車の走行時のCO2をこれ以上規制しても伸びしろが乏しいように思えます。厳しくすればするほど、クリアするのに必要な開発コストが相対的に増えます。これ以上は非常にコストパフォーマンスが悪い規制となるでしょう。

 自動車メーカー各社は環境規制に対応するのに本当に苦しんでいるように見えます。環境規制をクリアするために高度な技術と高価な装備が必要になり、メーカーは開発費の負担が増えます。その負担は価格として消費者に跳ね返ってきます。今後、自動車の値段が上がり続ければ、メーカーは車が売れずに困り、消費者も買える値段の車がなくなるという事態になるかもしれません。いったい誰が得するのでしょうか。

CASEで渋滞がなくなる

企業が技術を主導する

 最近の自動車業界の話題といえば、CASEでしょう。C=Connected, A=Autonomous, S=Shared, E=Electricの頭文字です。しかし、一般大衆が求めているというより、企業側が勝手に盛り上がっている印象を抱きます。企業側としては高価な車を売りたいという思惑があるはずです。衝突安全性、ハイブリッド、エコエンジン、自動ブレーキ、オートクルーズと車の機能がどんどん強化されて、値段もどんどん上昇しています。一方でこれらの装備がない簡素な車は減って、一般大衆は高い車を買わざるを得なくなっています。先進国では自動車販売台数は頭打ちなので、単価を上げる戦略なのでしょうね。

 

スマホを持ってプリウスのタクシーに乗る

 問題はユーザーが高いお金を払ったなりの納得が得られるかどうかです。CASEな車がある生活はどんなものでしょうか。

 これに近いものはすでに体験できます。スマホを持ってプリウスのタクシーに乗ればいいんです。

 

 スマホ=最も普及したconnectedな機器

 タクシー=他人が運転するので実質AutonomousかつShared

 プリウス=全世界で最も売れているElectricな車

 

 この体験にCASEな車が勝るのでしょうか? CASE普及のためには、今後、消費者も企業も社会も高いコストを払う必要があります。そこまでして実現する価値があるのでしょうか?

 

渋滞がなくなる魔法

 CASEな車が普及する大きな利点は、渋滞がなくなることだと思います。

 例えば、信号待ちに車が並んでいるとして、信号が青に変わると、現代の車では先頭の車から順番に発進することになります。信号が見えない位置にいるドライバーは前の車が発進してからでないと自分も発進できません。そして前車が発進してから自分が発進するまでにタイムラグが生じます。反射神経の問題です。スマホをいじってたりするともっと遅れます。このタイムラグが積み重なることで、長い信号待ちの列では後ろの車ほど発進に時間がかかり、取り残される車が生じます。

 仮にプロスポーツ選手級の反射神経を持つドライバーの車が並んだとしてもそれほど状況は変わらないでしょう。

 取り残された車が並んでいる信号に次の信号待ちの車が加わることで、信号待ちの列はどんどん長くなり、渋滞に発展します。

 これがCASEな車だけになるとどうなるでしょうか? 信号が青に変わった瞬間、信号待ちで並んでいる車が同時に発進します。自動運転とコネクテッド(常時通信)によって、信号と連動して協調制御されるわけです。タイムラグと取り残しは最小限で、最も多くの車が次の信号に向かうことができます。

 無茶な右左折による交差点での立ち往生もなくなるでしょう。特に都市部での渋滞緩和には大きな恩恵があると思います。

 CASEの特にCとAの恩恵によって都市部の渋滞が解決するのではないでしょうか。