平成生まれの医師のブログ

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堀尾憲市著「奇跡の復活」への疑念

 私は脳卒中の診療に関わっています。脳卒中とは脳梗塞脳出血などの総称です。たまたま堀尾憲市氏が執筆した「奇跡の復活」を紹介されて、読みました。堀尾氏が脳出血で倒れ、リハビリを行い、退院するまでの実体験が、生々しい心情とともに記された、体験記としてみれば素晴らしい本でした。

 ところが驚くことにこの本は体験記で終わらず、自身が入院中に行った独自のリハビリが通常のリハビリより有効であると主張しています。しかし堀尾氏は医学やリハビリをよく理解しておらず、誤解が多々見受けられました。脳卒中発症から約6か月間のいわゆる「回復期」と呼ばれる時期において、堀尾氏が主張する堀尾式なるリハビリテーションが、保険診療で行われる標準的なリハビリテーションより優れること(あるいは少なくとも同等であること)をこの本で全く証明できておりません。以下、この本に対する指摘を記します。

 

堀尾氏は独自の訓練だけで麻痺から回復していない

 本の記述によれば、堀尾氏は脳出血を発症し、左の手足の完全もしくはほぼ完全な麻痺の状態から、数十日で不安定ながらも自力で歩行できる程度まで回復したようです。堀尾氏はその間入院し、標準的なリハビリテーションを受けていました。標準的なリハビリテーションは通常1日2回行われ、1回の時間は20~40分です。資格を持ったリハビリ療法士が指導してくれます。そして堀尾氏はそれ以外の時間を使って独自訓練を行ったようです。独自訓練だけで回復したわけではありません。

 規定のリハビリだけでなく、自主トレーニングを追加で行ったほうがより大きく回復するのは事実でしょう。ただし、自主トレーニングの内容も、自分で思いついた訓練をするのではなく、リハビリ療法士の助言を得たメニューで行ったほうが、より効果があったのではないかと思います。独自訓練の内容次第では、転倒して骨折する、余計な負荷がかかって回復が遅れるなどのデメリットがあります。堀尾氏が入院中に一般的なリハビリテーションを学んだという記載は見当たらず、自分で思いついた訓練を行ったのに過ぎません。

 堀尾氏は自分の訓練が劇的に効果を発揮したと確信しているようですが、堀尾氏自身の体験からは独自訓練がどの程度回復をもたらしたのか分かりません。極端な話、独自訓練の効果は微々たるもので、ほとんど標準のリハビリの効果だけで回復した可能性すらあります。

 

「奇跡の」回復だったのか疑問である

 堀尾氏は自身が麻痺からの回復したのを奇跡的だったと考えているようですが、本当に「奇跡」だったのでしょうか? 本の記述には脳出血だったと書かれていますが、脳出血を起こした部位や、脳出血の大きさなどの情報が一切ありません。CTなどの画像検査の結果すらないのです。

 小さな脳出血であれば発症時の症状が重くても、リハビリで大きく回復することは十分あり得ます。ある程度大きな脳出血でも条件がよければ(例えば運動野や錐体路を直接障害していないなど)、大きく回復します。堀尾氏の回復は「奇跡」ではなく想定されるものだったのかもしれません。

 

堀尾氏の言う「自分で動かそうとする訓練」は堀尾氏独自の発想ではない

 堀尾氏は麻痺で動かない手足を自分で動かそうとする練習をことさら強調していますが、麻痺で動かない手足を自分で動かそうとする練習(随意運動の訓練)は、標準のリハビリで普通に行うことです。というより、それが基本です。症状が強ければ自分で動かそうとするだけではなかなか効果的に動かせるようにならないからこそ、リハビリ療法士が動かない手足を動かして刺激を入力し、手足の使い方を効率的に学習するために装具などの補助具を使うのです。自分で動かそうと念じるだけで全員が劇的に動くようになるなら誰も苦労はしません。

 

堀尾氏が強調する「自然治癒力」は標準的なリハビリ学がもともと認めている

 この本を読むと、脳の「自然治癒力」は堀尾氏しか着目していないような錯覚を受けます。しかし脳の「自然治癒力」は標準的なリハビリ学において、とっくに認められていることです。標準的なリハビリ学は「自然治癒力」を否定していません。むしろ「自然治癒力」を活かそうとする発想で標準的なリハビリは行われています。

 この自然治癒力の正体は、脳の神経細胞のネットワークにおいて、神経細胞同士が結合する部分(シナプス)の結合力や伝達効率が変化することだと、現代の脳科学では考えられています。この本でも一見似たようなことは書かれていますが、「プログラム」、「コンピューター」などの単語もたくさん出てくるため、シナプスが学習によって変化する現象を堀尾氏がきちんと理解しているのかよく分かりません。もっともらしく語っているだけに思えます。

 

堀尾氏は脳科学やリハビリを正しく理解していない

 この本で述べられた「脳は5%しか活用していない」というのは完全に誤りです。活用していない部分はほとんど存在しません。現代の脳科学では脳のほとんどの部分に機能が割り振られていることが分かっています。技術が進歩して機能が判明していなかった領域の機能も解明が進みました。そもそも脳の5%しか活用していないのなら、脳卒中で脳の一部が障害されただけで、なぜ症状が出るのでしょう? 運悪く5%の部分が障害されたのでしょうか?

 脳=コンピューターとも書いてありますが、情報処理装置であるという点は共通でも、それ以外の構造や動作原理は大きく異なります。独自訓練で「プログラムを再構築する」などと述べられていますが、具体的に脳にどのような変化が起きるのか全く説明していません。

 堀尾氏は脳出血脳梗塞を混同している節がありますし、リハビリにおける装具や三角巾の目的も正しく理解していないようです。他にも変な記載はいくつもあります。

 

なぜか「麻痺」にだけ熱心に取り組んでいる

 脳卒中が引き起こす症状は麻痺だけではありません。麻痺とは脳や脊髄などの障害で筋肉を思うように動かせない状態です。堀尾氏の脳卒中発症直後は、左の手足の麻痺だけでなく、左の手足の感覚障害があったようです。顔面や体幹部の症状については言及がありません。その他、この本の記述によれば左半側身体失認や左半側空間無視などの高次脳機能障害もあったように思われます。しかしこの本の大半が「動かない」「動くよう念じた」「動き始めた」と麻痺に関する記述で埋め尽くされています。

 

体が傾いた女性と脊髄損傷の男性の話は、堀尾氏の主張を補強していない

 この本には、堀尾氏自身の体験以外にも、二人の別の方の話が紹介されています。

 一人は気づいたら体が傾いていた女性で、その女性は約2か月間、近くのお寺へ毎日通ううちに、症状が良くなったそうです。堀尾氏は「脳卒中だったのでしょう」と推測で書いていますが、本当にそうでしょうか? 「体が傾いていた」とは具体的にどんな症状だったのかよく分かりません。平衡感覚障害だったのだとしたら、末梢性めまいによる症状としてあり得る話で、末梢性めまいは自然軽快します。小脳の小さな脳梗塞脳出血だった場合は、何もしなくても(お寺へ通わなくても)自然軽快はあり得ます。この女性は堀尾式リハビリに取り組んだわけではなく、なぜこの女性の話を紹介したのか不明です。信じる者は救われる、と堀尾氏は言いたいのでしょうか? しかしそれはリハビリ学ではなく信仰の話です。

 脊髄損傷の男性は、何らかの障害が劇的に回復したそうですが、どんな脊髄障害だったのか、どのようにして回復したのか、全く記述されていません。堀尾氏は自身では書ききれないとだけ記しています。それならばなぜ紹介したのかよく分かりません。

 

まとめ

 脳卒中を発症してから約6か月間は「回復期」と呼ばれ、リハビリで症状が改善しやすい時期です。その時期に効果的なリハビリテーションを受けられるように、症状が重い方はリハビリ病院に入院してリハビリできる制度になっています。症状が軽い方は脳卒中急性期の治療が終われば、直接自宅へ退院し、通院してリハビリを続けることもあります。

 堀尾氏は脳卒中発症後に標準的なリハビリを受けて過ごし、大きな回復を経験しました。その間、独自訓練にも取り組みましたが、それがどの程度回復に役立ったのか不明です。堀尾氏は独自訓練こそが大きな回復の要因だと信じているようですが、この本はその効果を証明できていません。

 堀尾氏が唱える訓練法は、通常のリハビリで行う訓練の一部を抜き出して曲解し強調したものに過ぎず、その具体的方法が通常のリハビリの訓練法と比較して効果的かあるいは安全か全く証明できていません。堀尾氏が主張する理論(?)も通常のリハビリ学で認められている脳科学をあやふやに言い換えたものに思われます。

 堀尾氏が運営するウェブサイトによれば、自身の体験に基づいて脳卒中後遺症を抱えた方たちへ独自訓練を施し、堀尾法なるリハビリ法を確立したそうです。堀尾氏が自身が考案した方法で大勢を回復させたと主張しても、対象となる患者さんの条件を整え、他の人も堀尾法の効果を客観的に確認できる形で示さなければ、良識ある医療者は受け入れないでしょう。しかも驚くべきことに、堀尾氏は回復期を過ぎて残る脳卒中後遺症を標準的なリハビリの弊害と考えているようです。何か根拠があるのでしょうか? 堀尾氏自身は標準的なリハビリの恩恵を受けていながら、それを批判しているのです。

 最後に繰り返しますが、この本は堀尾氏の独自訓練がどのくらい回復に寄与したか証明していません。また、標準的なリハビリと比較して同等あるいはそれ以上の効果があることも証明していません。従って、堀尾式リハビリテーションを受けて回復したと思っている方は、きちんと資格のあるリハビリ療法士の助言の下でリハビリを行えばもっと回復した可能性が残ります。